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なんとなく過ごした日々は一週間前のランチに等しいという話

こんにちは。ベーシック代表の秋山(@basic_CEO)です。

突然ですが、みなさんは、一週間前に食べたランチを覚えていますか?
恐らく覚えていないのではないでしょうか。
今回はこれに関する話をしていきたいと思います。

記憶に残ることと残らないことの違いは何なのか

以前、社員に向けてこんな話をしました。
「なんとなく働き、なんとなく過ごした日々は一週間前のランチに等しい」
これは、当たり前のことは、ごく最近のことでも記憶に残らないという例えです。

一方で、例えば、通っていた学校での出来事など、逆にそれより遥かに昔のことでも昨日のことのように記憶している出来事もあります。

小学校、中学校、高校、大学、そして社会人と、その等しく与えられた時間の中で、「思い出深く記憶に残ること」と「そうではないこと」の違いはなんなのでしょうか?

「思い出深く記憶に残ること」は、私たちになんらかの意味をもらたらしたもの、そしてその意味が、私たちのアイデンティティに影響を与えたものです。

その思い出深い出来事を「点」とするなら、点の数が多ければ多いほど、深みも幅も出てきます。

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その「点」の意味づけが、「経験」となります。
「自分とは何か?」を考えるときに、自身の経験(=「点」)が思考のベースに大いに影響を与えているはずです。

「記憶」に残る働き方とは

哲学においては生得観念(せいとくかんねん)と言うそうなのですが、

観念(対象に対して抱く意識)は経験によって得られる。

とするならば、経験として残るような働き方を増やすことが、多くの物事の理解を増やし、その人の人生を豊かにする方法だ、というのが私の考えです。

当たり前ですが、感情が動いたことの方が記憶に新しく感じます。
であるならば、より多くの「点」を残そうとするのであれば、感情が揺さぶられる仕事をするか、そのように行動するのが良いと考えます。

例えば、少しストレッチした無理めな仕事をすれば、そこに費やす時間や思考、行動の量が増えるため、その仕事を通じた喜びや悔しさは増します。

・思いを込めてやる仕事
・全力でやる仕事

だからこそ、その先に意味が生まれるのです。

「なんとなく働き、なんとなく過ごした日々は一週間前のランチに等しい」
そんな毎日にならないようにしたいものです。


なお、ベーシックでは、そんな「記憶に残る」仕事に一緒に取り組んでくれる仲間を随時募集しています。
よろしければ採用ページもぜひのぞいてみてください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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